第1回関東オフ報告
2001/06/03
クランのレジェンドが始まった、記念すべきオフ会です。

当時はクラン・ヤシダではなく、「多摩アメコミ武蔵野エグゼヴィア会」という
怪しい宗教団体みたいな名前でした。

幹事はなりゆきからまかされた吉田が。
このいきおいでクランの「組長」までやらされるとは思ってもいなかったよ。しかしぃ。

今だからぶっちゃけますが(笑)当時、吉田はオフ会未体験なうえ、アメコミファンて結構「オタク」ぽい人種だと偏見ばりばりに思ってたので、「あ〜オタクって苦手なんだよなぁ・・・マニアックなアメコミ話ふられたらどうしよう・・・」と、かなり乗り気じゃありませんでした(笑)

オフ会の集合場所は「たかのだい駅」の改札で、「どいつが田中。(当時はふぉーりん。)だ?やつか?それともやつか?」と一生懸命、オタクっぽい人を捜してたら、人の良さそうな人に「もしかして吉田さんですか?」と、声をかけられ、それが後にクランの良心と呼ばれる兄ぃことLeeさんでした。

兄ぃと話してたら、ぞろぞろと人が集まってきて、ふぉーりん。こと、「田中。」、田中。のポスターを見て、きてくれた「ゆみか」、「A木」さん、「れゆ」、田中。の知り合いの「フランク・T」さんと全員集合しました。みんな集まった後は、最初の偏見など吹き飛び「みんなオタクっぽくないじゃん!いや、それより、みんないけてるのにアメコミ好きでいいのか??」などと思ってしまいました(笑)

あと、特に驚いたのが田中。のイメージのギャップです。ネットでは、さわやか好青年で自分は勝手に田中。=デブだというイメージを持ってたのですが、会ってみると、決して低い方ではない自分より(175cm)背は高いは、体は引き締まってるは、「一体どれほどの修羅場をくぐってきたんだ!こいつは!!」てな感じでした(笑)


でもって、このときからマイペースだった軍曹は車で現地入りしていて、待たせたら悪いので、みんなで会場の「ワン・ツー・チー」に移動しました。かねてより、「会場は駅から結構歩くよ」「予約できないから会場変わるかも知れないよ。」といって了承とったのに「遠い」だの「歩きすぎ」だのの声に軽くぶち切れ(笑)それをクランの良心の兄ぃに癒されながら一路「ワン・ツー・チー」に向かいました。

そこで軍曹に合流。したら軍曹も結構いい男で、吉田はびっくりしました。「何だみんなかっこいいじゃん」と。

「ワン・ツー・チー」は込んでて待たされるとのことなので、別の候補の店にいくことに、これがまた歩くんだわ。で、不平不満を尻目に見つつ、行ったらそこも込んでるでやんの。

そこで、田中。が「風神邸」はどうかと、提案したので、「風神邸」にいくことに、その田中。のフォローに吉田は感激し、「田中。!あんた最高や!!」と心の中で感謝したってのは公然の秘密。

ダメ幹事っぷりを軍曹、兄ぃにはげまされつつ「風神邸」に向かいました。素晴らしい、素晴らしすぎるクラン幹部のコンビネーションです。このころは皆、気をつかって励まし合ったのに、いつのまにネタにされるようになりましたか(笑)

でもって、軽く2キロは歩いたあと、現地入り。酒をのみつつ、アメコミ話などいたしました。
とりあえず、兄ぃのアメコミへの情熱は初回からすごかったなぁ。

吉田は全くのアメコミ初心者の「れゆ」「A木」さんの近くにいたので、気を遣って大変でした。「ごめんね、アメコミってのは、こーこーこーですごいマニアックだから。こいつなんて一回若返って、自分のむすめっこくらいの元テロリストとランデブーしちゃうんだから。」みたいな感じで。


初回、自分が歩かせてばっかりなので、お世辞にも大成功とはいえないオフでしたが、
まさか第2回目があるなんて、このときはつゆにも思いませんでした。
(文責 吉田司郎 2002/05/02)